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女性たち
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心理学史
の
中
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メアリー・エインスワース
立命館大学総合心理学部教授。学校法人立命館・学 園広報室長。日本心理学会教育研究委員会資料保存 小委員会委員長。カナダ→イギリス→ウガンダ→アメ リカと移住したことが,エインスワースの思考を鍛え 上げたのかもしれません。ちなみに,ボウルビーとエ インスワースの年齢差はわずか6歳,ちょっと驚いた。サトウタツヤ
メアリー・エインスワースは, メアリー・サルターとしてアメリ カに生まれた。5歳の時にカナダ に移住した。家族は3人姉妹に対 して教育を与えようとする雰囲気 であった。 イギリスの心理学者マクデュー ガルの本を読んで心理学に関心 をもったメアリーはトロント大 学の博士課程でブラァツ(Blatz, William E.:1985-1964)に師事し た。ブラァツはその時点におい て,子どもはその養育者に対して 安全的な依存をして養育者を安全 基地(secure base)として見なす ことによって,見知らぬ外界(人 や状況)と関係をもつことができ るという「安全理論」を構築し ていた。メアリーはその影響を 受け,質問紙調査によって大学 生を対象にした調査で博士号を 得た(タイトルは"An Evaluation of Adjustment Based on the Concept of Security")。取得後は カナダ軍女性部隊に所属して,最 終的には大佐にまでなった。 その後メアリーは,結婚相手 Leonard Ainsworthの学位取得の ためにロンドンに移り住んだ。そ の時,軍隊時代の友から『The Times;Educational Supplement』 に掲載されたタビストック・クリ ニックの研究助手募集広告を教え てもらいそれに応募し見事採用さ れた。同クリニックは,力動的治 療を専門とする医療施設であり, 建物の前にはフロイト像が建立さ れている。 メアリーは児童精神分析部門で 研究していた医師・ボウルビー (Bowlby, John:1907-1990)の研 究助手を務め,子どもが幼少期に 母親から離別した際のパーソナリ ティ発達に関する研究に従事した (1950)。この時期のボウルビー は世界保健機構(WHO)から依 頼されたレポートを仕上げてい た(モノグラフ『母性的養護と精 神的健康』〔1951〕として結実し た)。メアリーはボウルビーのも とで,早期の養育者不在状況が子 どもたちを不幸にすることを理解 し,その解決にも関心をもった。 ところが,メアリーの運命はさ らに展開する。彼女は夫の転勤に 同行しアフリカ・ウガンダで暮ら すことになった(1954-1955)。ウ ガンダにおいてメアリーは,タビ ストックで身につけた自然観察の テクニックを用いて,28組の母 子を対象に家庭状況における母子 の振る舞いについての自然観察的 な研究を行った。彼女はこの時, 子どもの近接行動と探索行動に着 目していた。ウガンダの子どもた ちは周囲を探索する時に,どこに 母親がいるかを常に気にかけなが ら探索していたのである。この研 究成果は,ボウルビーの考え方を 大いに触発することにもなった。 さらに1956年,メアリーはア メリカのジョンズ・ホプキンス大 学に移った。病院の臨床心理士と して働き,最終的には教授になっ たものの,基本的に臨床的な立場 の教員として活動し,パーソナリ ティ測定などを教えており,研究 時間も取りにくい状況であった。 そのような中で彼女は,ウガンダ で行った観察と同じことをアメリ カでも行ってみた。しかし,アメ リカの子どもたちはウガンダの子 どもたちとは違っていることに気 づくことになった。 ウガンダで見られた,①探索行 動中に母親を安全基地として使 う,②母親との離別時の短い悲し み,③見知らぬ人に会ったときに 見せる恐れ,に関しての個人差 が,アメリカでの日常生活ではあ まり見られなかったのである。ア メリカの子どもたちは,家(見 知った状況)という環境では,母 親を安全基地として使わずとも探 索行動を行えていたのである。だ からこそメアリーはアメリカの子 どもたちの差を見いだすために は,見知らぬ場所に親子を連れて きて,その行動を見ることが重要 だと考えたのであろう。そして 「見知らぬ場所」という人工的な 場面設定はその後,標準的な手続 きとして整備され,新奇場面法と 呼ばれることになり,さまざまな 国で研究が行われたのである。 [第 6 回]Ainsworth, Mary Dinsmore Salter (1913-1999)